プロフィール

石井清四郎について

東宝特撮映画、松竹、東映、円谷作品などで操演、美術、模型等の制作に携わる。
「ウルトラQ」のオープニングタイトル、「太平洋ひとりぼっち」のマーメイド号の模型を制作した。

東宝特撮映画に多く関わり、主に船舶、飛行機、東京タワー、ブルドーザー、土木機械、トラック、宇宙船など、模型飛行機やミニチュアの制作を得意としていた。
現実に存在する物については自ら図面を起こし、宇宙船などはデザイン画を元に図面を起こしていた。

1942年の東宝映画「南海の花束」のために九七式大艇のミニチュアを制作したことが、後の円谷作品と関わるきっかけとなった。

石井製作所について

石井製作所は戦前より兄・清一が経営していた模型飛行機屋であった。
この模型飛行機は一般家庭向けに販売を行っており、清四郎は兄を手伝いながら数多くの飛行機を制作していた。

戦後しばらくした後清四郎が石井製作所を引き継ぎ、東京都渋谷区、現在の神宮前原宿の自宅に工房を併設する。製作所では電気スタンドの製造を行っていたが、後に数々の映像作品用の模型を受注することとなる。
工房の従業員は常時2~3人、機電で有名な倉方茂雄氏も共に模型制作に携わる。

東京特殊研究所について

東京特殊研究所は石井清四郎が円谷プロを退職後、個人で立ち上げていた研究所である。
特殊精密ミニチュアー研究、機械・電気・造形・美術を専門とし、映画、TV、CMを個人で請け負うことを目的としていたようである。
CM用の模型、クリーニング機の試作などいくつかの写真が残されており、雑誌小学6年生では読者の発明にコメントするコーナーを持っていた。
この研究所の活動期間についての詳細は不明である。

主な経歴

生年月日 1921年(大正10年)9月28日(訂正)
出身 東京市大崎広小路

15歳で肋膜炎を病む。
ほとんどの教科で「甲」か「乙」。
絵画などで賞状をもらい、副級長をしていたなど、成績は良かったと思われる。

1928年(昭和3年)東京府荏原郡南蒲尋常小学校入学

1929年(昭和4年)東京府荏原郡大森第二尋常小学校に転校

1932年(昭和7年)東京府荏原郡入新井第一尋常高等小学校5年で転校

1934年(昭和9年)東京市渋谷尋常高等学小学校入学

1936年(昭和11年)同校を卒業 長男清一とエアエンジンの制作、設計、プレスの型作り等を研究、飛行まで成功 15才

1940年(昭和15年)長男清一と模型飛行機用ガソリンエンジンの設計、制作 19才

1942年(昭和17年)海軍に入隊(~1945年終戦まで)

1945年(昭和20年)恵比寿米軍キャンプで約2年間運転手をする

1947年(昭和22年)10月1日 26歳で結婚

1948年(昭和23年)12月18日 長女の初根が誕生 続いて次女、末の長男、良

1963年(昭和38年)インド映画特撮指導のためムンバイに約3週間滞在

1967年(昭和42年)JEAAに参加

1970年(昭和45年)大阪万博 三菱パビリオンを3ヶ月間請ける(調査中)

1973年(昭和48年)5月末より15日間、東西ヨーロッパ航空交通視察団に参加

2009年(平成21年)10月19日 老衰のため88歳で死去

情報提供: 石井良

【最終更新日:2015.1.7】

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